“よし、おまえは祈るという言葉を使った。 これで何も鸚鵡に臆することはない、村田よ、人間が他の動物と違い、霊長類と呼ばれるのは何故か。 それは他の動物にない、精神活動をするからである。 太古の昔、人間は、こうなればよいという、願望を持ち―――雨が降ればよい、狩りの獲物が多ければよい、など―――そのために行為を始めた。 自分にとって理想的な未来のビジョンを思い描き、それを現実となすための、行動を起こしたのだ。 それが呪術(じゅじゅつ)であり祭祀(さいし)だ。 祈りの始まり、精神世界の萌芽(ほうが)なのだ。 それがやがては一定の神への信仰に発展して行く。 人間とは斯くの如く、他の動物に抜きんでた存在なのだよ。„
“文化というものは、洋の東西を問わず、成熟し、また先鋭化(せんえいか)してゆくと、言葉にその直接的な意味以上のものが付加され、土着のものにはそれを読み解く教育が、幼い頃から自然と施されてゆくものなのだろう。 いわゆる「育ち」というのはそのことなのだろう。 とすれば「育ちが違う」というのは、つまり、一つの言動を巡る解釈が違い、それに対する反応が違うということである。 であるから、誰かの一言のその正確な狙いを知ろうと思えば、本来はその誰かの育ちまでを勘案に入れておかねばならぬということになる。 しかし、それは決して完璧にはなされ得ぬ業である。„
“―――ビザンツ人は、希臘(ギリシヤ)・羅馬(ローマ)の文化を受け継ぎ更に東からの風を受けて、これ以上ないほどそれを発展させていったんだ。 あまりに精緻(せいち)で凝りすぎたせいかビザンツ的、というのは今は揶揄(やゆ)的な比喩(ひゆ)でしか用いられないけれどね。„
きょうは雪だ。
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ゆき
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